挨拶するしないは、人それぞれの選択でいいかもな、という話

こんにちは、Aki’s Proofreadingの明子です。

快晴の朝など、外で出会った人と挨拶を交わすと、わたしは、なんとなくいい1日が始まった気持ちになります。

「挨拶を交わす」という行為をわたしがいつ覚えたのか、はっきりとは覚えていません。
わたしが幼少の頃、母と近所に外出していると、母がすれ違う人に対して挨拶をしていました。
歩いて10分くらい先で誰かに出会っても母は挨拶をしていたので、家の周囲のご近所さん以外にも挨拶をしていたような印象がありました。
(実際は同じ町内会など顔見知りだったのかもしれませんが。)

また、母は若い頃からつい最近まで登山を趣味としていました。
わたしが母と登山をした時、登山道ですれ違う人とは挨拶を交わすんだなということを覚えました。
わたし自身も、波乗りで普段入らない場所に行った時には、積極的に挨拶をするようにしています。

そのため、挨拶は、日常的な行為だという感覚が強いです。

昨年の春から早朝ウォーキングを始めました。
わたしはこれまでの習慣から、すれ違う人には挨拶をしていたのですが、すれ違う人によって、挨拶の反応が異なります。
挨拶すれば返ってくる人、向こうから先に挨拶してくる人、挨拶しても返ってこない人、など。

挨拶を交わす犬
体育会系の男性の挨拶は「ざす」とか短くてうらやましい

その中で、最初は挨拶が返ってこなかった人が、挨拶をしてくれるようになるまで、には特徴がありました。
誰かとわたしが会話を交わしていて、その誰かが共通で顔見知りであったとき、次からは挨拶をしてくれるようになるのです。
今まで一年近く、まったく目も合わなかった方が、その方の知り合いとわたしが会話しているのをわかると、次からすれ違うとき、向こうから挨拶をしてくれるようになりました。

挨拶というのは、お互いが知り合いですよ、という共通認識の役割もあるかもしれないですね。

たまに、挨拶しても、頑なに目も合わさない方もいます。
以前は、そうされても次に会ったときも、わたしは挨拶し続けていたのですが、ある時、もしかしたらその人は、わたしに挨拶をして欲しくないのかもしれないと考えました。


相手目線に立ってみたら、人見知りの程度やパーソナルスペースの範囲は、異なって当然ですよね。
そうであれば、挨拶が返ってくることを求めすぎるのはよろしくないなと思い、それ以来何度か挨拶しても返しが同じような雰囲気だった場合は、こちらから挨拶するのはやめました。

私自身、「率先して挨拶をしている自分」でありたかったのかな、とも反省しました。
挨拶を交わすのは心地よいことだと思うのですが、パーソナルスペースの範囲は人それぞれです。わたし自身も人見知りすることはありますし、相手を尊重しようと思うようになりました。

挨拶は言葉の反射作用のようで、奥深いものだなあと感じますね。難しい。

では、また。