校正の道に至るきっかけ:和文タイプライター

こんにちは、Aki’s Proofreadingの明子です。わたしが文字に興味を持ったきっかけの一つに、母が昔、和文タイプライターの仕事をしていたということがあります。

わたしが小学生の頃の数年間、母は和文タイプライターの、今でいうフリーランスをしていました。地元新聞の2段8分の1とかほんとに小さなスペースに出した名刺広告を今でも覚えています。

ある日、それまで洗濯物を干すスペースだった廊下に、事務机と大きな大きな和文タイプライターが置かれていました。どんなものかというと、新聞の文字の大きさくらいの小さな活字のハンコがずらっとケースに並び、それらをハンドルのついたアームで活字のハンコを一文字ずつ拾い上げて、用紙に打ち出していく機械です。下の画像とは若干見た目は異なりますが、こんな感じでした。

画像引用:「これなあに?」(最終閲覧日:2021年5月28日)http://core.kyoto3.jp/jpntype.html

A4用紙一枚を打ち終えると、別のA4用紙を入れ替えてまた続きを打つという、パソコンだけでなくスマートフォンでもキーボードを見ずに打つ達人もいるような今の時代には考えられない、とてもとても時間のかかるタイプライター。しかも、この並びのケースの中に活字がなければ、別の活字の入った重たいケースを入れ替えるという、非力な子どもからするとなんと力のいる作業だと感じていました。

当時の文書といえば、「○○開催のお知らせ」などの告知や挨拶文などの文書が主。とはいえ、パソコンなどという発明品を知らない時代のため、多少の需要があったと記憶しています。

ガッチャン、ガッチャン、と活字を打ち出す音が家じゅうに響きわたりました。その音のあまりの大きさに、父がお茶の間で「むむむ」という表情をしていたのを覚えています。母が仕事に慣れてくると、次第にそのガッチャン、ガッチャンの音の間隔が短くなり、一枚の文書を仕上げるスピードも次第に早くなって、事務机に座る母はまさにプロタイピスト。かっこいいなあとわたしは眺めていました。

母の仕事の合間を縫って、その和文タイプライターに並んだ小さな活字を覗くのがわたしの好きな時間でした。母の真似ごとをしてみたくて、HAPPY NEW YEARとたった数文字の、しかも和文タイプライターなのにアルファベットで年賀状を作ったこともありました。これほど小さく並んだ活字の中からアームを動かして一つの活字のハンコだけ拾い上げて印字させるという、機械でありながらめちゃくちゃアナログなその動きを見ているだけで楽しかったです。母がこの職を退いた後、この重くて大きな和文タイプライターはわたしが大人になるまでずっと廊下に置かれ、残念ながら再登板となることはなかったと記憶しています。

当時の母と同じような年齢に達した今、わたしがこうして文字の仕事をして、文字を打っています。当時の母は、何を頭に思い浮かべながら文字を打っていたのだろうかと、当時の母に尋ねてみたいものです。

これがわたしが文字を好きになったきっかけの一つです。
わたしは自分が大人になってから今の進路を決めたと思っていましたが、子どもの頃にだいたい決まっていたのかもしれません。

ではまた!